旅紀行 @福島県
全国各地に展開している「宅配クック123」。今回ご紹介するのは「福島県」です!
観光
江戸時代の光景を彷彿とさせる大内宿
かつて、会津若松と日光今市を結ぶ会津西街道の宿場町として栄えたのが大内宿です。今も茅葺屋根の民家が街道沿いに立ち並び、江戸時代の面影を残していて、そのノスタルジックな趣が多くの観光客を虜にしています。また、昭和56(1981)年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。冬は雪が降り積もり、さらに夜には家や雪灯籠の灯りで幻想的な雰囲気に。箸代わりにねぎ一本をかじりながらいただく「大内宿ねぎそば」が名物です。
磐梯山の雄姿を映し天鏡湖とも呼ばれる猪苗代湖
磐梯朝日国立公園内にあり、面積約103㎢、最大深度93.5mの猪苗代湖は、日本で4番目に大きな湖で、淡水湖としても3番目の面積を誇ります。特徴の一つが透明度の高いきれいな水。湖に注ぐ長瀬川の水が火山性の酸性のため、湖の水質も弱酸性となって栄養が少なく、水中の植物や藻があまり育たないのがその理由です。冬は白鳥が飛来するほか、厳冬期に湖水が強い西風にあおられ、岸辺の草や木に氷着する「しぶき氷」という、国内では珍しい現象も見られます。
奇岩が立ち並ぶ景勝地の塔のへつり
「へつり」とはこの地方の方言で、危険な険しい断崖という意味。100万年もの歳月をかけ、侵食と風化を繰り返して塔のような白い奇岩ができあがり、その奇岩が約200mにわたって続くことから、「塔のへつり」と名付けられたのだとか。そして昭和18(1943)年には国の天然記念物に指定されています。吊り橋を渡れば断崖内部の一部も見学可能。初夏は藤の花、秋は紅葉の名所としても有名ですが、冬は雪が降り積り、水墨画のような美しさを堪能できます。
会津若松市のシンボルとして親しまれている鶴ヶ城
至徳元(1384)年に葦名直盛が築いた東黒川館が始まりで、文禄2(1593)年に蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、鶴ヶ城と命名しました。慶応4(1868)年の戊辰戦争の猛攻を耐えたことで、難攻不落の城として知られるように。現在の五層の天守閣は昭和40(1965)年に再建され、平成23(2011)年に屋根瓦を幕末当時の赤瓦にふき替えたそう。この赤瓦を用いた天守閣は現在鶴ヶ城のみだとか。最上階の展望台からは360度のパノラマが楽しめます。
名産品
100年以上前から食べられていた郷土料理・こづゆ
「こづゆ」は会津塗りの器に、貝柱のだしで煮込んだきくらげやわらび、里芋といった山と海の幸を盛りつけた福島県の郷土料理です。江戸時代後期から会津藩の武家料理や庶民のごちそうとして広まりました。かつては一の重とニの重、または一の露と二の露として二つのお椀に分けていたのが、昭和60年代頃からまとめて「こづゆ」として提供されるように。冠婚葬祭、とくに婚礼時に欠かせない料理で、宴会の最中にふるまわれるそうです。
意外なきっかけで県の名物料理となった馬刺し
馬肉や馬刺しといえば熊本県が有名ですが、会津地方はその熊本県に次いで、馬肉の生産量・消費量が全国2位となっています。会津では戊辰戦争を機に、体力の早期回復を目的として牛や馬などの肉食が推奨されていたとのこと。ただ馬刺しが有名になったのは、昭和30年代以降。当時鶴ヶ城でプロレス興行を行った力道山が、試合後に会津若松の精肉店の店先で、持参のタレをつけて馬肉を生で食べたのがきっかけと言われています。
日本三大ラーメンとも称される喜多方市発祥のご当地ラーメン
喜多方ラーメンは一般的な麺より水分を多く含んだ「平打ち熟成多加水麺」が特徴のラーメンです。昭和初期、中国出身の料理人が屋台で出していた手打ちの支那そばが喜多方ラーメンの元祖と言われています。その後、「まこと食堂」のラーメンが喜多方ラーメンとして紹介されてから全国的に知られるように。基本的に醤油味がベースと言われますが、店によって色合いや風味は千差万別です。
来月は「熊本県」をご紹介する予定です。なお、寒さと共にコロナ&インフルエンザウイルスが猛威をふるっているので、お出かけの際は感染対策に細心の注意を払い、予定の延期もご検討を!
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